1994年の年末は、ゲーム売り場が一年でいちばん賑やかだった時期かもしれません。1990年11月21日に25,000円で出たスーパーファミコンはまだ現役でした。その隣に「次世代機」と呼ばれる新しい本体が並んでいます。しかも1社や2社ではありません。
PlayStationとセガサターンが同時に出た1994年。次世代機戦争を決めたのは値段ではなくソフトだった

けん玉は結局、この世代の3機種を順番に買いました。性能の話より、どれを先に買うかで悩んだ記憶のほうが強く残っています。あれから30年、当時は見えなかった勝敗の理由が、いくつかの数字から見えてきました。
1994年、次世代機が一斉に出た
口火を切ったのは松下電器産業でした。1994年3月20日、3DO規格に基づく3DO REALを発売しています。ゲーム専業ではない家電メーカーが本体を売る構図は、この世代の性格をよく表しています。
秋になると本命が来ます。セガ・エンタープライゼスのセガサターンが1994年11月22日、44,800円で発売されます。ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStationは12月3日、39,800円でした。さらにNECホームエレクトロニクスが12月23日、PC-FXを49,800円で出します。ひと月のあいだに3機種です。
任天堂だけは別の道を進みました。1995年7月21日には、赤い立体視ゲーム機バーチャルボーイを15,000円で発売しています。当初の予定は19,800円でした。据置の次世代機であるNINTENDO64が出るのは1996年6月23日、25,000円まで待つことになります。しかもCD-ROMではなくカートリッジを選びました。
1995年、値段が武器になった
面白いのは、この争いが性能の自慢話ではなく、値札の付け替えで進んだことです。
セガサターンは1995年の6月から7月にかけて、44,800円から34,800円へ下がりました。PlayStationは7月21日に39,800円から29,800円へ。さらにセガは同年11月、5,000円のキャッシュバックを打ちます。発売から1年たたないうちに、両機とも1万円前後を削ったことになります。
北米ではもっと露骨でした。1995年5月11日、セガはE3の会場で、9月に予定していたサターンの北米発売を当日開始すると宣言します。価格は399ドル。一部の小売店には、すでに本体を送り込んでいました。これに対してソニーは同じ壇上で「299」とだけ言い、100ドル安い価格をぶつけます。本体を回してもらえなかった主要小売との関係は冷え込み、北米でのサターンの販売は1998年3月に終わりました。日本では2000年まで本体の生産が続きました。
けん玉の記憶に残っている「すごかった時期」は、この1年半です。新しい遊びを競っていたというより、体力の削り合いでした。
決着はソフトが付けた
セガも売れていなかったわけではありません。1995年12月1日に出たセガサターン版『バーチャファイター2』は、サターンで初めてミリオンに届いたソフトです。アーケードの熱をそのまま家庭に持ち込む戦い方は、確かに機能していました。
流れが変わったのは1997年1月31日、PlayStation版『ファイナルファンタジーVII』だと思います。スーパーファミコンで大作を出してきたスクウェアの看板作が、任天堂でもセガでもない機種に来ました。性能表ではなく、遊びたいソフトがどこにあるかで人が動いたということです。
その後の数字は静かです。初代PlayStationはSIEの公表値で、2012年3月31日時点の世界累計が1億240万台以上。NINTENDO64は任天堂の公表値で世界3,293万台、スーパーファミコンは4,910万台です。セガは1998年11月27日にドリームキャストへ移り、サターンは表舞台から降りました。なお、サターンの累計台数はけん玉が調べた範囲ではセガの公式資料に見当たらず、他機種と同じ土俵には並べられません。
勝敗を分けたのは、ソフトを集める力だった
この世代で本当に問われたのは、ハードを作れるかではなく、ソフトを集められるかでした。
松下もNECも、本体を作る力では誰にも負けていません。それでも3DO REALやPC-FXの名が今ほとんど出てこないのは、遊びたいソフトが積み上がらなかったからです。ソニーも家電の会社でしたが、ソフトメーカーが乗りやすい環境をこの世代で作りました。結果が1億台です。
値下げ合戦も、体力勝負に見えて中身は同じ話です。安くして本体を配れば、そのぶんソフトが売れる見込みが立ちます。開発会社はそちらを向きます。価格で殴り合った1995年の勝敗が、1997年のラインナップとして返ってきました。
任天堂はこの世代でカートリッジを選び、次のニンテンドー ゲームキューブでも据置機の首位に戻れませんでした。その経緯はゲームキューブ発売25年の記事でも触れています。1994年に始まった並びは、そのまま2000年代まで続きました。
30年前のあの年末に、どれが正解かを見分けられた人はいなかったはずです。けん玉も分かっていませんでした。ただ、あれだけの数の会社が同じ市場に本体を投げ込んだ時期は、後にも先にもありません。今のゲーム機の話が3社の中で収まっているのを見ると、あの騒がしさは少し羨ましくもあります。
けん玉のひとこと
勝敗の話をしてきましたが、けん玉自身はPlayStationもセガサターンもNINTENDO64も買いました。順番に手を出して、どれも長く遊んでいます。
最初はPlayStationでした。よく覚えているのは『ボクサーズロード』です。1995年にニューから出たボクシングゲームで、選手を一から育てて試合に出します。有名なメーカーの作品ではありませんでしたが、これにはかなりハマりました。大事なのは食事です。ウェイトオーバーにならないよう体重に気をつけながら、パワーやスピードを上げるために何を食べさせるかを考える。この食事管理が肝でした。その後は『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』も遊んでいます。
次がセガサターンです。『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』でクラブを運営し、『プロ野球チームをつくろう!』で球団を回し、『天外魔境 第四の黙示録』を進めました。経営ものとRPGを行き来していた時期で、本当に楽しかったです。
そしてNINTENDO64では『マリオカート64』と『実況パワフルプロ野球』でした。パワプロのサクセスモードは、選手を育てるつもりが気づくと何時間も経っています。
いま思い返すと、人生で一番ゲームを遊んでいたのはこの3機種の時期です。台数の勝ち負けとは別に、どれを買っても遊ぶものがあった世代でした。
※ セガサターンの累計販売台数は一次情報を確認しきれていないため、誤りがあればお問い合わせからお知らせください。




