ゲームセンターの筐体に座ると、家の機械では見たことのない画面が動いていました。1990年代の半ばには、それが珍しいことではありませんでした。その差を作っていたのは、メーカーが自分のところで設計した業務用の基板です。
【連載 第1回】セガ MODEL2 とは何だったのか。1994年のアーケード基板と家庭用機の距離

セガの MODEL2 は、その中でもとくに家庭用との距離がはっきり開いていた1枚でした。今回は作品ではなく、基板そのものの話です。
6基のチップで3Dだけを担当させた
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| CPU | Intel i960KB(25MHz) |
| 3D 演算 | 富士通 MB86234(TGP)を6基 |
| 描画 | 毎秒約30万ポリゴン(テクスチャ付き)、1フレーム最大6,500ポリゴン |
| 画面 | 496×384ドット、24kHz、16bitカラー、60フレーム |
| 音 | モトローラ 68000 と28チャンネルのPCM音源 |
| 共同開発 | セガと GE Aerospace(のちにマーティン・マリエッタへ) |
描画の数値はいずれも公称値です。実際のゲームがこの上限まで使い切っていたわけではありません。あとで家庭用機と比べますが、そちらの数字も同じ性格のものになります。
試作機が人前に出たのは1993年8月、東京のアミューズメントマシンショーだとされます。同じ月には、国内の一部の店舗でテスト稼働も始まりました。
第1弾の『デイトナUSA』が日本で動き出したのは1994年3月だとされます。同じ月に北米のACMEで発表され、4月に世界で稼働しました。この作品そのものは次回にまとめて扱います。
平らな面に模様が乗った
MODEL2 の前には MODEL1 がありました。1992年の『バーチャレーシング』、1993年の『バーチャファイター』を動かした基板です。
MODEL1 のCPUは NEC の V60 で、描画は毎秒18万ポリゴンとされます。ただし、ポリゴンにテクスチャを貼ることはできませんでした。面はひとつの色で塗られ、そこに模様は乗りません。
MODEL2 はここにテクスチャマッピングを持ち込みました。毎秒18万から30万へ、という数字の伸びよりも、こちらのほうがはるかに大きな差です。
平らな多角形の集まりに、路面のアスファルトや肌の質感が貼り付きます。画面の中のものが、表面を持った物として見えるようになったわけです。
もっとも、制約は残っていました。1枚のテクスチャに使える色は1色で、そこに16段階のグラデーションがかかる仕組みだったとされます。写真のように自由な絵を貼れたわけではありません。
それでも、面に模様があるかないかの違いは遠目にも分かります。1994年のゲームセンターでは、これが人の足を止めていました。
相手は軍需メーカーだった
MODEL2 は、セガが単独で作った基板ではありません。話の始まりは1990年11月、東京での GE Aerospace との会談だとされます。
GE Aerospace は軍用のフライトシミュレーターを手がけていた会社です。当時、実時間で3Dの風景を描く技術がいちばん進んでいたのは、ゲーム業界ではなくこちら側でした。
協業が正式に発表されたのは1992年9月です。ちょうど同じ時期に、GE Aerospace の当該部門はマーティン・マリエッタに買収されました。一緒に作る相手の名前が、途中で変わったことになります。
ここで気をつけたいのが、「MODEL2 はロッキード・マーティンの Real3D 技術で作られた」という説明です。海外の記事でも見かけますが、これは時系列が合いません。
ロッキードとマーティン・マリエッタが合併してロッキード・マーティンになったのは1995年です。その傘下のグラフィックス部門が Real3D として独立したのも、同じ年でした。
MODEL2 が稼働した1994年の時点では、どちらもまだ存在していません。Real3D の Pro-1000 というチップが載るのは、次の基板 MODEL3 からです。この話は MODEL3 の回で扱います。
上位機が来ても、2C の作品は出続けた
MODEL2 は1枚で終わらず、3年ほどかけて中身を入れ替えながら使われ続けました。型ごとの構成は、次のように伝えられています。
| 型 | 3D 演算の中身 | 主な稼働作 | 稼働年 |
|---|---|---|---|
| MODEL2 | MB86234(TGP)×6 | デイトナUSA、バーチャファイター2 | 1994 |
| MODEL2A-CRX | MB86234 系 | バーチャコップ2、セガラリー・チャンピオンシップ、インディ500、マンクスTT スーパーバイク | 1995前後 |
| MODEL2B-CRX | ADSP-21062(SHARC)×2 | ファイティングバイパーズ、スーパーGT24h、ラストブロンクス | 1995〜96 |
| MODEL2C-CRX | MB86235(TGP×4)×2 | ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド、デッド・オア・アライブ、ソニック・ザ・ファイターズ | 1996〜97 |
2B では3D演算の担当が、富士通のチップからアナログ・デバイセズの SHARC に替わりました。2C では富士通の新しい世代に戻っています。音まわりの68000も、初代の10MHzから2A以降は12MHzへ上がったとされます。
注目したいのは、1996年に MODEL3 が公開されたあとも、2C の作品が出続けていることです。上位の基板が来たからといって、下の基板がすぐ消えたわけではありません。
高い基板と安い基板を並べて置き、作品の性格で選びます。ゲームセンターという場所には、そういう使い分けが成り立つ余地がありました。
数字は近い。違ったのは構成のほう
MODEL2 が稼働した1994年は、家庭用でも大きな動きがあった年です。セガサターンが11月22日、初代プレイステーションが12月3日に発売されました。
数字だけを並べると、意外に近く見えます。サターンは VDP1 がテクスチャ付きで最大30万ポリゴンとされていました。プレイステーションは表示能力が最大36万ポリゴンです。
ただし、ここで並べた数字はどれも公称値です。MODEL2 の約30万も、家庭用の2機種の値も、メーカーが示した上限という点では同じ性格のものです。突き合わせても、差は見えてきません。
差が出たのは構成のほうでした。サターンについては、CPUの演算能力に制約されて公称値には届かないと説明されています。MODEL2 は3D演算だけを担当するチップを6基積んでいました。
筐体ごと売る業務用だからこそ許された作りで、家庭に置ける価格の機械とは前提が違います。だから、ゲームセンターで見た画面が家でそのまま出てくることはありませんでした。移植された作品はどれも、どこかを削って家庭用の側に合わせています。
セガサターンでいま何が遊べるかは、セガサターンを今遊ぶ方法にまとめています。
正規に遊べるのは5本、それも前の世代の機械で
セガは MODEL2 の作品を、「MODEL 2 COLLECTION」として PS3 と Xbox 360 向けに配信しました。オンライン対戦にも対応しています。
収録は5本です。『バーチャファイター2』『ソニック・ザ・ファイターズ』『ファイティングバイパーズ』『バーチャストライカー』『電脳戦機バーチャロン』が並びます。
この5本は、いまもダウンロード購入できます。ただし受け皿は PS3 と Xbox 360 で、どちらも前の世代の機械です。現行機に同じものは来ていません。
稼働した本数を考えると、正規の形で手元に呼び戻せる MODEL2 の作品はごく一部です。セガが自社のハードから降りていく流れは、セガがドリームキャストの製造をやめて25年に書きました。
けん玉のひとこと
MODEL2 のすごさは、毎秒30万という数字そのものではないと思っています。面に模様が乗るか乗らないか、違いはそれだけ。それだけで、画面の中のものの見え方が変わりました。その一歩を家庭用より先に見せたところなんですよね。
軍需メーカーと組んだ経緯も、いま読むと大胆です。自分たちに足りないものを外から借りる判断を、1990年の時点で動かしていたところ。のちにセガがハードから退くことになっても、この頃の攻め方は語り継がれていいはずです。
正規に遊べる形が5本で止まっているのは、正直もったいないところ。それでも、そこまで運び続けてもらえた事実は小さくないです。次にまとめて出る機会があれば、当時ゲームセンターに通えなかった人にも届いてほしいですね。
※ 稼働時期の月・2A・2B・2C の構成・当時の家庭用機の数値は一次情報を確認しきれていないため、誤りがあればお問い合わせからお知らせください。
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